2009年 09月 30日
お山の夜
真夜中、と何度も勘ちがいしたくらい、秋のお山は、宵の口からまっくらけ。
停電でもないのに懐中電灯が必需。
塚原の、オニのパン屋さんのオニさんに聞いて、夜の集いにお邪魔しました。
お集まりのみなさんは、日々、食のことを考え、食生活を生み出す食の道の方々。
わたくし、トリの専門は、おいしく食べること。
とにかく外が真っ暗で、黒いうるしのお椀の底に沈んでいるような気がしました。漆黒のやみというのは、本当でした。
お椀の外に世界があるなんて考えられないような気がしてくるのでした。
ごっとりした素敵なお皿に盛ったお野菜尽くしの素敵なお料理と、みなさんそれぞれのなにかを求める意気ごみ、それも、それを当たり前と考えているような姿勢におどろきながら、ぼうっとなっていました。
室内の静かな照明は、外の暗さを強調するようでした。
金木犀は、いっときも頭から離れないくらい匂っていました。
バッハの(たぶん)無伴奏チェロ組曲がずっと流れる中、ときどきスイッチョンがはっきりと鳴くのが、また、なんとも。
帰り道。
へびとどっちが怖いかわからない、暗やみ。
みなさん、心配してくださる三倍、おどかしてくださいまして、お礼申し上げます。
わたしひとりの車のライトだけが頼りの山みち。
霧まで出て、肝だめしに磨きがかかりました。
どうやら、ススキのオバケも、タヌキも、お山のヌシも見逃してくれたようでした。
秋の名月まであと七日ほどのお月さんがゆがんでいました。
決して、わたしの手がふるえていたのでは、ありません。
帰ってきた自分の町がまた不思議で。
こんなところにも町があったのかと思うような。
それから二日、考えていました。
あの不思議な空間はいったい。
電球を暗いのにかえてみました。
夜になったらちゃんと暗くて静か、というのからはじめてみます。
追記です。
この夜聴いたのは、バッハじゃなくて、バッハ前後の17世紀のチェロの曲でした。
トリの言うことはあてになりません。
停電でもないのに懐中電灯が必需。
塚原の、オニのパン屋さんのオニさんに聞いて、夜の集いにお邪魔しました。
お集まりのみなさんは、日々、食のことを考え、食生活を生み出す食の道の方々。
わたくし、トリの専門は、おいしく食べること。
とにかく外が真っ暗で、黒いうるしのお椀の底に沈んでいるような気がしました。漆黒のやみというのは、本当でした。
お椀の外に世界があるなんて考えられないような気がしてくるのでした。
ごっとりした素敵なお皿に盛ったお野菜尽くしの素敵なお料理と、みなさんそれぞれのなにかを求める意気ごみ、それも、それを当たり前と考えているような姿勢におどろきながら、ぼうっとなっていました。
室内の静かな照明は、外の暗さを強調するようでした。
金木犀は、いっときも頭から離れないくらい匂っていました。
バッハの(たぶん)無伴奏チェロ組曲がずっと流れる中、ときどきスイッチョンがはっきりと鳴くのが、また、なんとも。
帰り道。
へびとどっちが怖いかわからない、暗やみ。
みなさん、心配してくださる三倍、おどかしてくださいまして、お礼申し上げます。
わたしひとりの車のライトだけが頼りの山みち。
霧まで出て、肝だめしに磨きがかかりました。
どうやら、ススキのオバケも、タヌキも、お山のヌシも見逃してくれたようでした。
秋の名月まであと七日ほどのお月さんがゆがんでいました。
決して、わたしの手がふるえていたのでは、ありません。
帰ってきた自分の町がまた不思議で。
こんなところにも町があったのかと思うような。
それから二日、考えていました。
あの不思議な空間はいったい。
電球を暗いのにかえてみました。
夜になったらちゃんと暗くて静か、というのからはじめてみます。
追記です。
この夜聴いたのは、バッハじゃなくて、バッハ前後の17世紀のチェロの曲でした。
トリの言うことはあてになりません。
by wannotomarigi
| 2009-09-30 23:30